自分を受け入れる

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【主訴】

あの上司は

年上の私に対して常に上から目線。

私が何をしても

認めてくれない

褒めてくれない

振り向きもしない。

私の今までの貢献も経験も

全て

否定されている

あの人は

自分の出世だけしか

興味がない。

配下の者たちのことなど

どうでもいいのよ。

皆んな

不満で文句を言ってる。

私だけじゃない。

******************

ところで、貴女の仕事ぶりを聴かせてもらったけど、

貴女は

とっても素晴らしいリーダーなのね。

貴女に出会った配下は

とても嬉しかったでしょうね。

素敵な仕事をしてるのね。

『いや、いや、そんなことない。全然』

******************

多くの人が陥る罠がここにあります。

自分を

認めて!

正当に評価して!

と、要求し、相手がその通りに振る舞わないと

私は

認められていない

不当な扱いを受けている

と、不満をつのらせます

それなのに

素晴らしいね

と、褒められた途端

全力で

それを否定するのです。

そう

認めていないのは

周りではなく

他ならない

自分自身です。

「その服素敵ね」

「昨日の〇〇良かったよ」

「あなたの〇〇、綺麗ね」

etc

相手がこう言って褒めた時

つい

「そんなことないわ。全然だめよ」

と、言ってしまうことはありませんか?

謙虚、謙遜が美徳だと思い、

自分を否定することが

謙虚であり謙遜だと勘違いしていませんか。

これは

私たちがもつ

素晴らしい能力、

輝かしい個性の可能性を

奪うために、

実に巧妙に仕掛けられた

言葉の罠かもしれません。

謙遜とは

ありのままの自分を

そのまま受け入れ

あいしていること。

そこには

誇張も卑下もありません。

今まで

長い間、

「いえいえ、全然だめよ」

と言い続けてきたので

認めて欲しい自分と

認めるのは「はしたない、卑しいことだ」

と思う自分が、内側で

喧嘩している状態です。

ここに気づいて

すぐに自己受容していく人もいるでしょう。

一方で

そうは言ってもなかなか

今までの思考習慣を手放せない

という人もいるでしょう。

けれども、

自分を認めて生きたいと

決めたなら

方法はあります。

ただ

練習するだけです。

「いえいえ、そんなことないわ。

私なんか全然だめよ」と、言ってしまったら

急いで付け足すのです

「ありがとう。嬉しい!」と。

実は

相手がお世辞だろうとなかろと

貴女を褒めた時、

貴女がそれを

否定すると

相手をも否定することになります。

否定されて喜ぶ人はいません。

つまり

いえいえ……

と否定するのは

相手も自分も否定することになり

誰にとっても

心地よいことにはならないのです。

ただのお世辞だと思っても

全力で喜んで受け取ってみて下さい。

しばらくして

慣れてくると

あら不思議!

いつの間にか

全部がその通り

自然で当然だと思っていることに

気づくかもしれません。

【自分を愛するがわからない】-4

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自分を我慢して、他人を優先するのは「愛」ではない

自分を卑下して、他人をあがめるのも「愛」ではない

 

我慢することが即ち愛ということでもないし

謙遜することと卑下は違うはずだ

 

自分を尊んで初めて、他人のことも尊ぶことができる

自分を大切にするから、他人も大切にできる

 

尊敬は自分を大切にして初めて生まれる

自分を尊ぶことを知らなくて、

どうして人を尊ぶことができようか

 

だから

自分を愛して

初めて

ひとを愛することができる

 

だとすると・・・・

自分よりも(=自分を押し殺して)

他人を優先する(=しなければならない)

というのは

愛ではない

 

それは

偽善や依存や

自己満足に過ぎないのかもしれない

 

-------------------------------------

 

自分を愛するってどういうことなんだろう

 

自分を大切にするってどういうことなんだろう

 

自分を尊ぶってどういうことなんだろう

 

 

逆説的にかんがえると

 

自分を粗末に扱うというのは

 

 

自分の思い、希望、考えを

無視すること

 

自分をダメだと責めること

 

ならば

自分を大切に、尊ぶということは

 

自分の思いや感じたこと、

望み、考えを

認めること

 

自分を責めずに

自分をあるがままに認め

受け入れること

 

認め、受け入れるってどういうことなんだろう

 

たとえ

何かがうまくできない自分だったとしても

誰かを妬む気持ちが表れたとしても

そういう自分を

許すことではないだろうか

 

落ち込む自分を

「また落ち込んだ。どうして自分はこうなんだろう」

と責めるより

「落ち込むこともあるさ。今たまたま、落ち込んでるだけ。」

 

 

ついつい

ダメだな

と自分や他人を責める自分も

「ダメ」としてしまったところを

ひとつひとつ

許していくこと

 

批難ではなく

許していくこと

 

それが

自分を愛し

ひとを愛することに

なっていくのではないだろうか

 

 

そう思っても

つい

「責める」を繰り返すだろう

 

それが

人間の弱さなのだ

 

だから

何度でも

「許す」

を繰り返していけばいい

 

何度、「責める」を繰り返しても

その度に

ひたすら

ただ

「許して」いけばいいのではないだろうか

 

ひとつ

「許す」たびに

「愛する」ことになっていくのではないだろうか

そうやって

だんだん

「愛」が深まっていくのかもしれない

 

 

もともと

自分を愛していない人はいなくて

愛し方がわからないのだと思う

 

人それぞれ

「愛し方」は違うのかもしれない

 

でも

大事なのは

確かに自分を「愛している」という感覚

 

本当に自分を「愛している」人は

自然にひとを「愛する」だろう

 

ひとが

本当に「自分を愛する」ということを会得したら

この世の中に争いは存在しえなくなるのかもしれない

 

きっと

そこには

「愛」しかなくなるんだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【自分を愛する】がわからない-3

 

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我慢

 

自分のことよりもまず、相手のことを考えなさい

 

自分を優先するのではなく

まず、

ひとのことを考えなさい

それが

 

天国に徳を積む(宝を積む)ことになるのだ・・・

 

--------------------------

おそらく

この教えは

友のために自分の命を捨てること、

これ以上に大きな愛はない

 ~ヨハネ福音書15章12~17節~

に基づいているのだろう・・・

------------------------------------------------------------

 

幼いながらに

疑問に思ったものだ

 

自分よりまず相手・・・

いつもいつも

自分よりまず相手を優先しなければ

私は悪い子なの?

 

自分はどうなるの?

自分がやりたいこと

自分が欲しいものが

あっても

我慢しなくてはいけないの?

それを言ってはいけないの?

 

ずっと

我慢して生きていかなくちゃいけないの?

 

神様は

「我慢」させるために

人間を創ったの?

 

どうして

そんな酷いことするの?

わざわざ創っておいて

どうしてばかり我慢させるの?

 

神様は

何のために人間を創ったの?

神様は人間を愛していると

聖書に書いてあるけど・・・

 

我慢する人間だけを

愛するの?

 

 

そんなの変だ!

そんなのおかしい!

もしそうなら

神様はとても意地悪だ!

そんなの

愛じゃない!

 

自分を愛するように

隣人を愛せ

 

どうして

誰も

自分を愛するとはこういうことだよ

って

言わないんだろう?

 

どうして

自分を愛することを誰も教えてくれないんだろう

 

自分を愛するっていう意味を

誰か教えてよ。

そうじゃなければ

隣人を愛するってどういうことか

意味がわからないじゃないの!!

 

 

********************

 

どうして

カトリックの家に生まれたんだろう?

こんな家

選ばなきゃよかった・・・

 

こんな窮屈で退屈な教えで

誰が

幸せになるんだろう

 

こんな辛い教えで

どうして

救われる

とか言うんだろう

 

そもそも

救われなくちゃならないために

生れてくる意味がわからんわ!

 

 

神様ってそんなに

了見が狭くて小さいわけが無い・・・

と、思うんだけど。

 

苦しんで生きる為に

生れるなんて

 

そんな理不尽な目的のために

生きるなんて

まっぴらごめんなんですけど・・・

 

-----------------------------------------

 

でも

こんなこと

とても

言えなかったよ・・・

 

つづく

 

 

 

【自分を愛する】がわからない-2

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告解

 

今となっては、本当に笑い種だと思うのだが、

 

その厳しいカトリックの司祭(名前に‛雷’がついていたので雷神父と呼ばれていた)

が命じたことの一つに

「告解せよ。少なくとも2週間に1度は告解するべきだ」

があった。

------------------------------------------

「告解」とは、いわゆる「懺悔」のこと。

 

どんな罪を犯しても

心から悔い改めて許しを請えば

赦される

という恵にあずかることができる。

 

(告白を聴き、その人の罪を「ゆるす」権限を

司祭は持っている。

どのような告白を告解場で聞いたとしても

司祭は決して他言しない。)

------------------------------------------------

 

さて、まだ3つか4つの子どもに

2週間に1回「告解」することを義務付けると

どうなるか。

 

もちろん、

そんなことを命じられたところで

屁とも思わずに全く無視する子供も

いたかも知れない。

 

けれども私は

素直で

いい子で

真面目な気質であった。

 

そして、雷神父のムチが恐ろしかったし、

同時に

「ムチで打たれる」という辱めを受けるなど

まっぴらだ。

という、プライドの高い子供であった。

 

それ故

こんな命令にも

忠実に

従ったのだ。

 

健気にもほどがあろうというものである。

 

しかし、いくらカタチだけ従おうと思っても

「罪」ってなんだ?

と、

正直、何が罪なのかわからなかった。

 

けれども、2週間に1度

告解場で何か「罪」を告白しなければならない。

 

ところで、この「告解」に対する心構えとして

 

「告解は、十分準備をして、

心から悔い改めて告白するのでなければ

その罪は赦されない。」

という、これまたプレッシャーが半端ない

殺し文句つきであった。

 

それで、私は

真面目に、自分の中に

「罪」を探した。

「私の罪は何だろう?」

 

ところが

探しても見つからなかった。

 

真面目な私は

「まずい、何か探さなければ」

と、思った。

 

こんな風になると

何をしでかすかというと

『罪を創る』ようになるのだ。

 

 

『罪を創る』というのはどういうことかというと

決して、

わざと悪戯をしたり、

他人に危害を加えたり

盗みを働いたりするということではない。

 

そんなことより

もっと

恐ろしいことをしていたのである。

 

それは、

自分で自分を「罪」に定めてしまうということ。

 

幼い私は

「弟と喧嘩をしました。」

「弟と喧嘩をして叩きました。」

「お父さんの言うことを聞きませんでした。」

「お手伝いをしたくないと思いました。」

こんなことばかり(正確には覚えていないが)

「告解」していたのだ。

 

私はずっと、

自分を「罪」とし続けたのであった。

 

そして私の

本音はどうだったのか

 

◆喧嘩をしたことを

 心から悔い改めていたか?

 

否である

 

しかし、真剣に悔い改めない告解は告解ではなく

その罪は赦されないという呪縛は残った

つまり、悪いと思ってもいないことを

「悪かった」とウソをついた

という「罪」が残ったのだ。

 

「おい!神父!

お前の命令によって

幼い子供が

告解場で「罪」を犯したぞ!」

と、言いたい。

------------------------------

そして、

私が本当に「告解」するとしたら

ここなのだろうし、

本当に「赦してほしい。謝りたい」と

思うことをしでかしたときは

告白するには勇気が必要である。

そして、それを告白し、赦しを得た時の

安堵感、有難さ、救われた感というものが

大きいのも事実である。

--------------------------------

 

◆言うことを聞かなかったことを

 心から悔い改めていたか?

 

否である

だいたい、

納得のいかない命令に従わなかったからといって何が悪いのだ?

・・・・素直でいい子であるはずの私の別の自分がそう呟く・・・

 

◆「お手伝いをしたくないと思いました」

 

当たり前じゃない?

「やれ」とヒステリックに命令される

食後の皿洗い。

年上の姉に小突かれ、「鈍いね!」と叱られながら

冷たい水で食器を洗うというお手伝いが

愉しいわけがないんだから。

 

素直に感じた自分の感情を

「悪いこと」にしてしまう

「悪いこと」は避けなければならないと考え、

それならば

素直に感じた感情を無視したり

否定したりし始める。

 

これが癖になると・・・

 

自分が本当に好きなことは何か

何をしていると楽しいのか

何をすると嬉しいのか

何がしたいのか

 

分からなくなっていくのだ。

これを

内的不感症

という。

 

 

このような状態の自分が

「自分を愛している」と言えるだろうか?

 

つづく

 

【自分を愛する】がわからない

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「隣人をあなた自身のように愛せよ」マタイ22章-39

自分を愛するように人を愛しなさい・・・・

 

他人を愛することは難しいことで、

自分を愛していることは

ごく当たり前のことだということだろうか。

 

聖書はずいぶんと難しいことをおっしゃる。

 

私は幼児洗礼

つまり

生まれて間もなく

カトリックの洗礼を受けた。

洗礼名は聖女アグネス。*

*(その昔、とても美しかった彼女は

エスに一生を捧げると決めた。

信仰に生きるため、全ての縁談を断り続けたが

ある富豪の男はそれを許さず、

「結婚しなければ殺す」と脅した。

それにも怯まず、抵抗した彼女はついに

首を刎ねられて殉教した)

 

私が子供の頃のカトリックの教えは

とても厳しかった。

 

というより、もの心ついた時、その地の教会の司祭は

たいそう厳しい人だった。

 

司祭が教えた大切なこととは

1.お祈り (神を愛する、賛美する)

2.人に親切(自分よりもまず相手を優先する)

3.我慢 (耐えろ、我儘を言ってはならない、従え)

この3つだと常々言っていた。

 

幼い子供にとって

これがどれほど苦しいことであるかわかるだろうか

 

ほんの3つか4つの子どもが

お祈り

*1時間にも及ぶミサの間、じっと手を合わせて「祈り」の姿勢を保つ

 できなければ、「行儀が悪い」と叱られ、ダメな子とみられる。

*朝な夕なに、「祈り」を唱えることを義務付けられる

 従わなければ叱られる、叩かれる。

      ⇓

 幼い私(子供)にとってそれはつまり、

 親からの否定になり、

 愛されない存在になるということであった。

 

*何のための祈りなのか、どうして祈るのか全く分からず

ただ、「祈る(祈りの文を暗記して数多く唱える)」ことを

強いられる。

      ⇓

 心の中では「つまらない!面白くない!」と思いながらも

 口に出すことはできず、ひたすら、祷りのもんくを暗唱し

 早口で数多く言い切ることに専念する。

 

 納得のいかないことを繰り返し行うことの

 猛烈な退屈感。

 そして

 消えない疑問を抱え続けることになったのだった。

 

他人に親切

この教えそのものは気に入っているのだが・・・

 

例えば、親切であることを教えるのに

「子供は座ってはいけない。子供は元気なのだから、大人に席を譲れ」

は無いだろう・・・。

 

 

我慢

これだって、

自分を律することも必要とか

勝手気ままと自由であることは違う

とかを知るにはいいことだと思うのだが・・・・

 

何かが欲しくても

大切なのは「我慢」だから

「欲しい」とねだるのは我儘であり

駄々をこねるなどもってのほか。

 

駄々をこねたところで

何でもかんでも手に入るものでもなく

買ってもらえないことも多いと思うのだが

 

 

大事なのは

「欲しい」と主張する経験

自分はこれが「欲しい」と口に出し、

身体で表現すること。

 

私は、それを封印してしまった。

何故なら、

大切なことなんだと

素直に従ったからである。

 

そして、

ただ一度

親に何日も

泣いてねだった経験

「自転車を買って」

は、叶わなかった

 

そして

このとき、

私は

「親に何かをねだって買ってもらおうなんて

思うものか」

と、決めた。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

【笑顔の伝染】

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【笑顔は伝染する】

 

私は毎日、コンビニやスーパー、郵便局やらマクドナルドに至るまで

ある、試みを行っています。

 

それは、その「スタッフと目を合わせて笑う事」

 

以前にも書いたのですが、

目を合わせて笑うと

だいたい9割くらいは笑顔が還ってきます。

 

以前はうまく説明できなかったのですが

 

「笑うと幸せになる」

は、理屈にもあってると思うのです。

 

まず、

 

赤ちゃんがにっこり微笑むと、こちらもついつられて

笑っちゃうということ、経験ありませんか?

 

生まれたばかりの赤ちゃんが笑うのは可愛がって育ててもらう為の本能だともいわれていますね。

お母さんの注目を惹き、もっと愛されるためにあの愛くるしい笑顔はあるそうです。

赤ちゃんのその笑顔をみて、可愛いな~、愛情注ぎたいな~って感じるのは

赤ちゃんからの「よろしくお願いします。愛してくださいね。」のサインを受け取るから。

 

笑うとセロトニンとかドーパミンなどのホルモン物質が

出るそうで、それは、「幸せを感じる」ホルモンと言われています。

 

笑顔を見たこちらも思わずわらっちゃうから、

勝手にセロトニンドーパミンが出ます。

出ると幸せを感じます。家族中が幸せいっぱいになります。

 

 

 

話しはコンビニに戻りますが、

スタッフに「ありがとう」と笑顔を向けると

感謝の気持ちが伝わると同時に

相手は思わずつられて笑っちゃいます。

見ず知らずのお客様に笑いかけられて

少し驚くこともあるようですが。

 

笑うとどうなるかというと、そのスタッフの脳から

セロトニンドーパミンが出ちゃうわけです。

すると、「幸せ」を感じやすくなりますから

つい、「嬉しく」なるんですね。

 

嬉しくなったスタッフは、私のことをどう認識するでしょう?

「いいお客さん。気さくなお客さん。」など、おおむね好印象ではないでしょうか?

その、好印象が、スタッフの笑顔とともにこちらに還ってきます。

すると、こちらもまた笑っちゃってセロトニンドーパミンが出ます。

嬉しくなります。幸せが還ってきたんですね。

 

嬉しくなったスタッフは次のお客さまと応対するときまでそれが

残っていることがあります。

 

すると、今度は、スタッフからお客様に笑顔が発信されます。

笑顔を受け取ったお客様は、思わず笑顔になりセロトニンドーパミンが出て・・・

 

というように、笑顔は伝染するし、笑うから幸せになる。

は本当なんだよなあ、と納得しました。

 

因みに、相手の気持ち、考えが「何となく伝わる」と

感じるのは、ミラーニューロンというものが伝染しているからだそうですよ。

 

これは実験もされたそうで、

遠く離れた2つの小島に同じ種類のおサルさんがいて、

1つの島のおサルさんが、ある植物を「新しい食べ物」と認識して

食べたら、もう一つの島にいるおサルさんもその同じ植物を

食べだした、というものです。

 

遠く離れた島にも「これは食べられる」という認識が伝わったんですね。

 

映画やドラマを見ていて、登場人物に共感して泣いたり笑ったり

悔しがったりするのも同じだそうです。

 

 

私が都内のクリニックや月1回のWSで行っている

笑顔のワークですが、笑っているところを録画して

振り返りながら進めていくんです。

 

ついこの前、ある男性が「自分の好い印象?何かの罰ゲームですか」とまで言っていたのに、ご自分の笑っている映像を見て、思わず「笑う」んですよ。

「あれ?笑ってるね。」って、とても嬉しそうに。

これも、自分の笑っている映像からのミラーニューロンの影響ですね。

 

自分が笑う姿を見て、自分が笑う、そして嬉しくなる。

自分もなかなかいいじゃないか!と元気が出る。

 

笑顔、笑う、というのは

本当に自分を幸せにするし、周りの人を幸せにするんだな、って思います。

 

=======================================

黒澤美佳
ベスリクリニック 

http://besli.jp/staff.html

笑顔外来
印象改善プログラム担当 スマイルセラピスト
 
WSセルフイメージをプロデュースする 開催日程
 
①第7回 8月26日(土) 14:00~16:00 渋谷南口会場
テーマ:怒りを手放す(予定)~それは負けることでも諦めることでもありません~
②第8回 9月30日(土) 14:00~16:00 渋谷十間スタジオ
テーマ:笑うから幸せになる(予定) ~笑顔と幸せは伝染して還ってくる~
※①は会場の都合により定員6名となります
②は定員8名です

※先行予約をご希望の方は、黒澤まで直接メッセージをお願いいたします。

**********************************
【個人セッション (特別料金)受付のお知らせ】

※特別料金での7月の受付は終了しました。
※特別料金の時間と料金を改訂しました。
 これ以降のお申し込みについては、以下の通りです。御了承下さい。

[特別料金セッション] 2017年12月末まで
初回のみ 
2時間 5000円

[通常料金]
2時間(1回) 20000円
3回セット 50000円
5回セット 90000円
※7月30日現在 
料金については変更される場合があります。

他人から言われた「自分の印象」を演じることはない

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【他人から言われたイメージを自分だと勘違いしてただけだった】
                           
7月29日 「第6回セルフイメージをプロデュースする」を開催しました。
 
人は、誰かから言われた一言をそのまま自分の姿なのだと勘違いしてしまうことがあります。
そして、それは良くも悪くもです。
                           
例えば、自分は仕事に集中していただけなのに、その時「話しかけにくい」と言われたとします。その時に自分は「話しかけにくい人」だと信じ込むと、その後もそれを証明しようとしてしまうことがあります。「話しかけにくい自分」に焦点が当たってしまい、そういう場面を集めにかかるんですね。そして、「ほら、やっぱり」と、さらにその「話しかけにくい自分」を強化してしまいます。
そうなると、人が集まる場にいても「話しかけにくい人」を演じてしまい、さらに余計な解釈を付けていくことさえあります。
                           
参加されたK様(ご本人のご了承を得ております)はまさに、そのパターンでした。
 
K様のお悩みは
・恐い ・偉そう ・威圧感がある ・話しかけずらい
そういう印象を持ち続けている。
そういうのを変えられないのはどうかと思っている。
ということでした。
                                             
ワークをしながら本当の自分はどんな人なのか、改めて見つめてみると、
*人と話すのも好き *女性らしい *優しい 
*カッコよくて強い
*例えていうなら吉瀬美智子さんみたいな人
だったのです。
 
他の参加者からK様の良い印象を聞き取りすると・・・
*落ち着きがあって *お話しが聞き易くて、わかりやすい *しっかりしている感じで
*クールビューティー!  *ついていきたい!!!
                                             
でした。
                                             
ほぼ、ご本人の本当の姿に近いですね。
ここに気付いたK様は
さらに、ワークを進めていくうちに
「もともと私は豊かで、幸せな人なんだ」
と、気付かれました。
                                             
「自然な笑顔」という変化を望んでいたK様
その後、ほんの少しのエクササイズをしただけで、
驚きの変化がでました。

f:id:mEgao:20170730144057p:plain

女らしくて優しいK様
豊かで幸せなK様
 
これから思いっきり、「本当の自分」を楽しんでくださいね!!
 
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セルフイメージをプロデュースする
 
①第7回 8月26日(土) 14:00~16:00 渋谷南口会場
テーマ:怒りを手放す(予定)~それは負けることでも諦めることでもありません~
②第8回 9月30日(土) 14:00~16:00 渋谷十間スタジオ
テーマ:笑うから幸せになる(予定) ~笑顔と幸せは伝染して還ってくる~
※①は会場の都合により定員6名となります
②は定員8名です

※先行予約をご希望の方は、黒澤まで直接メッセージをお願いいたします。

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【個人セッション (特別料金)受付のお知らせ】

※特別料金での7月の受付は終了しました。
※特別料金の時間と料金を改訂しました。
 これ以降のお申し込みについては、以下の通りです。御了承下さい。

[特別料金セッション] 2017年12月末まで
初回のみ 
2時間 5000円

[通常料金]
2時間(1回) 20000円
3回セット 50000円
5回セット 90000円
※7月30日現在 
料金については変更される場合があります。
 
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黒澤美佳
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笑顔外来
印象改善プログラム担当 スマイルセラピスト