【不安感-2】

不安感と向き合って・・・

私は、ずっとバリバリと働いていて

きっと、活躍もしていたんだと思う。

 

だけど、ある時

ポキッと

折れた。。。。

 

それからは

強烈な焦燥感と

不安感と

恐怖心に苛まれ、

 

本当に本当に

朝、目が覚めなければいいのに

と、思うほどだった。

 

私が体感した不安感を表現すると

 

心臓が突然天井に届くかと思うほど

「ドキッ」と、いや「ドッキューン!!!」と跳ね上がり、

全身の血がピタッと、流れを止める。

身体じゅうの毛穴という毛穴のすべてから

「気」なのか「エネルギー」なのかが、

シュウシュウと音を立てて

蒸発していく。

 

ムンクの叫び」のような枯れた感じ。。。

 

ガクガクと手足が震える。

 

そして、何者かに拉致られ、順番に銃で撃たれるのを

待っているかのような・・・

しかも、その順番がいつ来るか分からない・・・

というような恐怖。

 

もう、ほとんど

気が狂った状態。

 

いや、しんどかった。

本当に。

 

それが

「幻想だよ」「思い込みなんだよ」「気のせい(笑)」

と言われても、

「確かに、そうだと思うよ」と

頭では理解した。

 

けれども同時に、そう言う輩には

「頭突きを食らわしたろうか!」

と、思った。

 

いや、そうではない。

自分のイメージで

そいつの胸倉を掴み、絞り上げ、

鼻頭をグーで殴ってた。

ボコボコに。。

 

自分のイメージで(自分から抜け出して)

そいつの胸倉を掴み、絞り上げ、

鼻頭をグーで殴ってた。

 

自分のイメージで(自分から抜け出して)

そいつの胸倉を掴み、絞り上げ、

鼻頭をグーで殴ってた。

 

実は

これは前に進む大切な一歩だった。

 

私にはイメージするチカラが残っていた。

自分から抜け出して殴りにいくことが出来た。

 

恐怖や不安を

怒りに変えていた。

 

不安や恐怖も、言われた通り

単なる「イメージ。思い込み、気のせい」なんだけど

自分から

「こいつを殴ったろ!」と、積極的に働きかける

イメージをした。

 

怒りのエネルギー(感情レベル)は

恐怖や不安よりも大きい。

 

蒸発したエネルギーは

「気のせい(笑)」と軽く言われたとたんに

怒りのエネルギーとなって

戻ってきたらしい。(爆)

 

ありがとうございます

あの時の

あなた。

おかげさまで、生きています。

それも、凄く元気に・・・・(#^.^#)

 

あ、

それで、

「ありがとう」

だけど。

 

 ******************

 

その2 「ありがとう」のチカラ

 

かつて、植物炊いたご飯粒

「ありがとう」と声をかけ続けると

元気になる腐らない

という実験があった。

 

もう亡くなられたが、

日本一の投資家のT氏は

「ありがとう」を大切にする方として

とても有名だった。

 

「ありがとう」という言葉は超絶に

プラスのエネルギーを持っているらしい。

 

ところで、私がまだ、

不安と恐怖と、焦燥感の真っただ中にいた時、

「嫌いな人にも‘ありがとう'を言い続けていると良いことが起きる」的な

レクチャーを受けたことがある。

 

藁にもすがる想いで、

やってみたが、

なんだか

虚しさだけが残った。

 

実は

その頃の私は

被害者意識の塊だったから、

本心では

「ありがとう」なんて

言いたくなかったんだ。

「ありがとう」と、言えば言うほど

「負けた」気になって、

苦痛で仕方なかった。

 

やりたくないことを

無理して

やったところで

効果は無くて当然である。

 

「ありがとう」を

いきなり、

無理矢理、

嫌いな人を思い浮かべて言う

なんて、ハードルが高すぎたのである。

 

 

 炊いたご飯粒には試してないけど、

 

 

嫌いな誰かに言うより

自分に向かって

言ってもいいんじゃないかと

思った。

 

怒りの感情を持て余す自分

寂しさに身悶えする自分

不安と恐怖と焦燥感で気が狂いそうな自分

悲しみに浸りに浸っている自分

嫉妬のあまりに焼け死にそうな自分

恨み、憎しみでドロドロの自分

 

こんな、

ブラックな自分でも

ここまで生きてきた。

よくも死なずに、いままでしぶとく

生きてきたな~。

 

こんなに苦しくても

今もちゃんと生きてるな。

えらいな、自分。

 

ありがとう

 

本当は、理由なんて無くてもいいんだが、

とにかく、まずは自分に

「ありがとう」なんだな。

 

1日1000回、って何かに書いてあったし

かつてレクチャー受けた時は100回/人が目安

とか言っていたから、初めは数えていたけれど。

 

「1000回数えたら○○になれる」というような

ご利益的な感じになると、「数」にこだわってしまって

肝心の「ありがとう」から気がそれたりするから注意が必要だ。

 

だから、

駅まで歩きながら、とか、階段をのぼりながら、とかでも

いいのかも知れない。

ズボラな私は、そっちの方がやりやすかった。

「ありがとう、(ワタシ)」に集中できたように思う。

 

 

ある時、少し、モヤモヤした気分を晴らそうと、

「ありがとう」と呟きながら

歩いていたら、

 

全く見ず知らずのお婆さんが

私を見て、手を大きく振りながら

笑いかけてきたことがある。

 

「わ~!!偉い!私は真似できないわ~!

やりたくても、出来ないわ~!

あなたが歩いてくる姿が、とっても素敵で!!・・・・

また、キョロキョロとあなたを探すかも~!!」

 

 

自分に向かって言っていた

「ありがとう」が

私を生き生きとさせていたのかもしれない。

あの、「元気になった植物」や「腐らない飯粒」のように。

 

「ありがとう。ワタシ(笑)」

 

f:id:mEgao:20170608090101j:plain