【自分を愛する】がわからない-2

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告解

 

今となっては、本当に笑い種だと思うのだが、

 

その厳しいカトリックの司祭(名前に‛雷’がついていたので雷神父と呼ばれていた)

が命じたことの一つに

「告解せよ。少なくとも2週間に1度は告解するべきだ」

があった。

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「告解」とは、いわゆる「懺悔」のこと。

 

どんな罪を犯しても

心から悔い改めて許しを請えば

赦される

という恵にあずかることができる。

 

(告白を聴き、その人の罪を「ゆるす」権限を

司祭は持っている。

どのような告白を告解場で聞いたとしても

司祭は決して他言しない。)

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さて、まだ3つか4つの子どもに

2週間に1回「告解」することを義務付けると

どうなるか。

 

もちろん、

そんなことを命じられたところで

屁とも思わずに全く無視する子供も

いたかも知れない。

 

けれども私は

素直で

いい子で

真面目な気質であった。

 

そして、雷神父のムチが恐ろしかったし、

同時に

「ムチで打たれる」という辱めを受けるなど

まっぴらだ。

という、プライドの高い子供であった。

 

それ故

こんな命令にも

忠実に

従ったのだ。

 

健気にもほどがあろうというものである。

 

しかし、いくらカタチだけ従おうと思っても

「罪」ってなんだ?

と、

正直、何が罪なのかわからなかった。

 

けれども、2週間に1度

告解場で何か「罪」を告白しなければならない。

 

ところで、この「告解」に対する心構えとして

 

「告解は、十分準備をして、

心から悔い改めて告白するのでなければ

その罪は赦されない。」

という、これまたプレッシャーが半端ない

殺し文句つきであった。

 

それで、私は

真面目に、自分の中に

「罪」を探した。

「私の罪は何だろう?」

 

ところが

探しても見つからなかった。

 

真面目な私は

「まずい、何か探さなければ」

と、思った。

 

こんな風になると

何をしでかすかというと

『罪を創る』ようになるのだ。

 

 

『罪を創る』というのはどういうことかというと

決して、

わざと悪戯をしたり、

他人に危害を加えたり

盗みを働いたりするということではない。

 

そんなことより

もっと

恐ろしいことをしていたのである。

 

それは、

自分で自分を「罪」に定めてしまうということ。

 

幼い私は

「弟と喧嘩をしました。」

「弟と喧嘩をして叩きました。」

「お父さんの言うことを聞きませんでした。」

「お手伝いをしたくないと思いました。」

こんなことばかり(正確には覚えていないが)

「告解」していたのだ。

 

私はずっと、

自分を「罪」とし続けたのであった。

 

そして私の

本音はどうだったのか

 

◆喧嘩をしたことを

 心から悔い改めていたか?

 

否である

 

しかし、真剣に悔い改めない告解は告解ではなく

その罪は赦されないという呪縛は残った

つまり、悪いと思ってもいないことを

「悪かった」とウソをついた

という「罪」が残ったのだ。

 

「おい!神父!

お前の命令によって

幼い子供が

告解場で「罪」を犯したぞ!」

と、言いたい。

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そして、

私が本当に「告解」するとしたら

ここなのだろうし、

本当に「赦してほしい。謝りたい」と

思うことをしでかしたときは

告白するには勇気が必要である。

そして、それを告白し、赦しを得た時の

安堵感、有難さ、救われた感というものが

大きいのも事実である。

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◆言うことを聞かなかったことを

 心から悔い改めていたか?

 

否である

だいたい、

納得のいかない命令に従わなかったからといって何が悪いのだ?

・・・・素直でいい子であるはずの私の別の自分がそう呟く・・・

 

◆「お手伝いをしたくないと思いました」

 

当たり前じゃない?

「やれ」とヒステリックに命令される

食後の皿洗い。

年上の姉に小突かれ、「鈍いね!」と叱られながら

冷たい水で食器を洗うというお手伝いが

愉しいわけがないんだから。

 

素直に感じた自分の感情を

「悪いこと」にしてしまう

「悪いこと」は避けなければならないと考え、

それならば

素直に感じた感情を無視したり

否定したりし始める。

 

これが癖になると・・・

 

自分が本当に好きなことは何か

何をしていると楽しいのか

何をすると嬉しいのか

何がしたいのか

 

分からなくなっていくのだ。

これを

内的不感症

という。

 

 

このような状態の自分が

「自分を愛している」と言えるだろうか?

 

つづく