【私は不自由?】

【自由に生きてはならないという信じ込みの遺伝】

 

こういう方はいないでしょうか?

どうしてなのか、
「ご自由にどうぞ」と
見たり、聞いたり、言われても
「自由」に
ならない
なれない
罪悪感がでる
自分に規制をかける…
(キチンとしなきゃ!とか思っちゃう)

それはひどく窮屈で
「不自由」なこと
のようなのだけど

「不自由」だという自覚はなく、
今まで、自分が
「不自由だ」と考えたこともない。

ルールがある
規制が厳しい
組織の中
でなら、
「自由」に力を発揮するけれど

"ルールにとらわれず
規制を突き破り
自分で思うように
生きていいよ"

と、言われると
胸苦しく
尻込みし、
恐怖と不安にかられる

そして
自由にのびのびと
自分の思うがままに生き、
やりたいことが明確で
次々とそれを
やっていく人を見ると

・羨ましい
・妬ましい
・疎ましい
・批判したくなる
・中傷されているのを見聞きすると
何となく安心する
そして、そんな風に感じる自分を
責める…
『こんなこと思ったりしてなんてはしたない。』『なんて品性のないことを…』
とか。

そういう人は
自分では気がつかないうちに
「自由に生きてはならない」
「生きることは不自由である」
「私は自由に生きることができない」
「私だけ、好きなように生きてはならない」
etc

という、根深いイメージを
抱えていることがあります。

それについて、さして特別な記憶が
思い当たらないにもかかわらず。

そういう場合、それは
母親の記憶、セルフイメージを
引き継いだのかも知れません。

そして、それは
母親が悪いわけでもなく
引き継いだ自分が悪いわけでも
ありません。

実は
私自身もそうでした。

そのことに気づいた時、
それまで母に感じていた
苛々や怒りや恨みの感情は
消えていました。

そうしてやっと
「何をしても
何をしなくても
生きていてもいいんだ」
という感覚が芽生えました。

そしてこんな思い込みがあったんだ、
と、掘りだしたセルフイメージにびっくり…
・人生は苦しまなければならない
・苦しいのが当たり前
・苦しんでこそ価値あり
・苦難を甘んじ受けて清らかに生きてこそ愛される

どんだけ、苦しみたいんだ? 笑
馬鹿馬鹿しいけれど、これも
「本当の私」を思い出し、生きるために必要な
「〇〇の私」だったのです。

もちろん、この
母親から引き継いだイメージは
人それぞれです。

人付き合いは面倒臭い
⬇︎
皆んなの輪を外から眺めている方がいい
⬇︎
(根っこ)
私は理解されない

という方もいました。(ご了承得ています)

この方は「理解されない」
というイメージが、お母さまから引き継いだものだったのですが、
これを手放すとき、
寂しさを感じた、とおっしゃいました。

たとえ、それが
人生に好ましくない影響を与える
セルフイメージだったとしても
長年、連れ添った愛着が
そういう感じを引き起こすのかも
知れません。

その後、この方は
それまでとは真逆の
『自分は大勢の人々を繋ぐ中心だ』

というセルフイメージに変容されていきました。

そうなのです。
右は左があるから存在し
上は下があるから上でいられ、
苦があれば楽があるように

隠と陽は
表裏一体
逆といいながら一心同体

今、陰に見える
暗さの中には
真逆の陽と光が
存在しています。

私たちは
みな等しく、かけがえのない命を授かり、生きています。
どのように生きていくかは
私たちの自由に任されています。

選ぶのは
私たちの自由です。

****
ベスリクリニック 笑顔外来
笑顔を強要しない笑顔トレーナー

トランスフォーメショナル コーチ®︎
黒澤 美佳

画像に含まれている可能性があるもの:空、夜